2011年5月21日土曜日

ニュートンリングと謎の数字


研究の関係で名工大へ行ってきました。名工大出身の同僚から、ニュートンリングとそこに書かれている数字をチェックしてくるようにとのお達しを受けていたのですが、なかなか面白い発見ができました。

ニュートンリングとは、大学の正門を入ってすぐの前庭に存在する白い円形のオブジェで、その上を歩くことができるようになっている(冒頭画像の中央)。正式名がニュートンリングと言うのかは定かではないが、一周すると留年するとかしないとか、恐ろしい噂が存在するらしい。

このニュートンリングとその周辺には、以下のような謎の数字が書き込まれている。全部で4カ所存在し、それぞれ1から始まる8桁の数字。

  • 16421727
  • 15961650
  • 14521519
  • 15641642

同僚にはこの数字の謎を解いてこいと言われていたので謎解きを楽しみたかったのですが、答えはあっさり判明しちゃいました。だって、堂々と説明文が掲示してあるんだから!


要するに、8桁の数字の最初の4桁が生誕年、後半の4桁が没年を表しているわけです。レオナルド・ダ・ヴィンチ, ガリレオ・ガリレイ, アイザック・ニュートン, ルネ・デカルトという人選がなかなか面白いですね。

Sir Isaac Newton
René Descartes
Leonardo da Vinci
Galileo Galilei

ところで、彼らの生きた時代はユリウス暦からグレゴリオ暦への西暦の改訂が行われた時期にあたります。グレゴリオ暦は当時のローマ教皇グレゴリウス3世によって1582年に制定された暦であるため、ガリレオは生誕年(1564)と没年(1642)の歴法が異なることになります。それぞれの暦に統一して記載すると、

  • ユリウス暦 1564年2月15日 - 1641年12月29日
  • グレゴリオ暦 1564年2月25日 - 1642年1月8日

となります。制定当時は、グレゴリオ暦はユリウス暦よりも10日進んでいたので、没年は1641年ではなく1642年になるというわけです。天文学の父と称される彼の生涯が、歴法の転換点に位置づけられるのは興味深いですね。

もう一つ面白いのは、ニュートンの生没年(1642-1727)。ニュートンが生まれたときにはグレゴリオ暦が制定されてから実に60年が経過していますが、実はこの生没年はユリウス歴によるもの。この時期は二つの暦の間に11日の差があることから、1642年(12月25日)-1727年(3月20日)をグレゴリオ暦へ変換すると1643(1月4日)-1727(3月31日)年となり、生誕年が1年ずれることになります。

  • ユリウス暦 1642年12月25日 - 1727年3月20日
  • グレゴリオ暦 1643年1月4日 - 1727年3月31日

当時のイングランドでは依然としてユリウス暦が使われていて、グレゴリオ暦へ移行したのは新暦の制定から170年後の1752年ですから、ニュートンの存命中はユリウス暦が使われていたことになります。こうした理由から、ニュートンの生没年はユリウス暦で表記することになっているわけですね。

今ではほとんどの国が採用しているグレゴリオ歴ですが、その普及にはかなりの年月を要したんですね。

0 件のコメント:

コメントを投稿

LinkWithin

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...